大町市に魅力を感じ、Iターン・Uターンして地域に根ざした仕事に従事されている
皆さんや、大町市の地域資源を活用した仕事を起業された皆さんを紹介します。

中綱湖東岸の国道148バイパス沿いに建つ白いフクロウの館「のっぺ山荘」がキハダ飴本舗
中綱湖東岸の国道148号沿いに建つ白いフクロウの家がキハダ飴本舗

かつて人気飲食店「のっぺ茶屋」を立ち上げ、山野草を使った飴を製造販売し、休耕田をフジバカマで彩ってアサギマダラの飛来地を生み、行者にんにくの地域特産品化計画を温める「のっぺ山荘」の古川ご夫妻。独自の視点と地道な研究で地域資源をビジネスに結びつけるキハダ飴本舗の古川孝雄(ふるかわたかお)さんにお話を伺いました。

――随分とユニークな建物ですね。

古川孝雄さんの写真
古川孝雄さん

古川さん 長野オリンピックの前の年に神奈川から移住してきました。好きだった鹿島槍が見える当地が気に入って、300坪の土地を購入しました。ところが、農地だったので宅地に転用する必要がありました。普通の家だと転用が難しいと言われ、食堂を始めることにしました。勤め人の時代に資格をいくつか取っていて、調理師免許も持っていたのです。

 看板をまともに作ると100万円も掛かると言われたので、それならと家を飾る方にお金を使うことにしました。

 ここからは鹿島槍の吊り尾根が良く見えるんですよ。それをじっと眺めてたら、こりゃフクロウだと気付きまして、絵を描いて業者に渡し、壁に再現してもらったわけです。向って右の耳が高いのは、ここから見ると北峰の方が手前で大きく見えるから。

――かなりの人気食堂だったと聞いていますが、どうしてお店を閉めてしまったのですか?

古川さん 食堂なんてやったことなかったからね、要領が分かってなかったんですよ。ただ、他のお店にはないメニューを加工食品を使わずに作ることを決めてやってました。新潟の「のっぺ汁」を参考に13種類の具材をあんかけにした「のっぺ丼」や一番人気の「角煮丼」や「ピリ辛丼」なんてのを出してました。毎日、夜遅くまでかかって翌日の分の仕込みをしていました。プロの技やノウハウを持っていて効率よく作れれば違ったのかもしれませんが、そういうものなしにおいしいものを出そうとすると、どうしても時間がかかりました。

 忙し過ぎましたね。5年間そんなふうに働いた後、自分はもっとゆっくり生活するために移住してきたことを思い返し、営業日と休みを入れ替えることにしました。土日のみ週に2日だけの営業にしたんです。そうしたら、前より人が集中するようになり、余計に忙しくなっちゃった。それで、もう止めることにしたんです。

――飴作りを始めたきっかけを教えてください。

キハダの木の写真
実を付けたキハダの木

古川さん 白馬の篠崎さんという方から、彼が昭和30年頃に小谷村戸土集落の最後の分校で先生をしていたときに、土地のお年寄りから聞いたという話を教えてもらいました。キハダの実から飴を作って、子供に食べさせていたそうで、子供たちは、おなかの調子が良くなったり、風邪をひかなくなったり、元気になったということでした。篠崎さんは「体に良いものだから、これを作ったら喜ぶ人は大勢いるはずだ」と言うんです。それで、作り方の研究を始めました。もちろん、これまで飴作りなんてやったことはないですよ。

 小谷ではね、もともとキハダが村じゅうにあったんですよ。郷津さんという議員さんが山村で現金収入になるものとしてキハダの植樹を奨励してね。キハダは10年くらいで薬の材料になる樹皮が取れるまでに成長するんですよ。スギやヒノキだと何十年もかかるでしょう。小谷村ではキハダを特産品として育てていたんです。最盛期には何台もの貨車で運び出すほどだったらしいです。今では中国から安く入るので止めちゃいましたけどね。

 半年くらいいろいろと試してね、いっぱい失敗して、ようやく試作品ができました。それを中綱の人たちに配って試食してもらったところ、これが好評でね、さぁ売ろうということになりました。

七十七歳飴の商品写真
七十七歳飴(右)と行者にんにく飴

 ところが、大町の保健所に持って行ったら、「こりゃ販売できないよ」って言うんです。キハダの実は食用ではないから駄目だって。そういうことを記述した文献がないから食品とは認められない…と。こっちはせっかく作ったものが売れないとなったら大変ですよ。それで、図書館で本を何冊も調べてね。そしたら、見つかったんですよ。「信州の食材」という本でした。そこに木曽でキハダ餅を食べていたという記述があったんです。それで再度、保健所と掛け合い、県の専門部署に聞いてもらいました。結果、「駄目とは言えない」との回答をもらったんです。許可が下りたんです。

 こんな苦労したんだから、他所で同じ商品を出されたらたまらないと思って、商標登録を出しました。キハダ自体は栄村や木曽などにもありますしね。だから、キハダの実を使った飴ができるのはうちだけです。

 キハダの樹皮は薬の材料として登録されているので、食品には使ってはいけないんです。薬事法は面倒でね、うちでもフジバカマを使った飴を開発したんだけど、これも薬の材料で登録されていて食品として売れないんです。色や香りが良く、良い味なのに残念です。

――キハダ飴を売っているのは小谷村だけですか? 大町では七十七歳飴になっていますね。

古川さん 飴を作るには製造許可を持ってる工場が必要なんです。私は持ってなかったので小谷の農産物加工所と一緒に始めました。これまでの開発の経緯もありますし、特産品として小谷では大切にしてもらってましたから、キハダ飴は小谷のブランドにして、大町には別の商標を作りました。

 図書館で文献を調べたり、文化財センターの所長さんに相談する中で、仁科氏のお屋敷の鬼門方向に竃(かまど)神社を置いてキハダを植え、神事を行っていたと聞きました。実際、竃神社には樹齢数百年にもなろうかというキハダが何本かあります。そうした昔の人の知恵と努力にあやかって、当時の長寿といわれた七十七歳まで元気で頑張ろうと名付けました。

――商品や製造でこだわっている点はありますか?

古川さん 商品の袋に記載しているとおり、材料は基本的に天然のもの。植物油とあるのはサラダ油で、最後に飴を冷やすときに飴がくっつかないように台の上に塗ってるだけ。中に入っているわけじゃないんだけど、記載しないといけないから。

 大量生産せず、手作りで、しっかり顔の見える範囲で丁寧に売っていきたいのですよ。ですから、信頼できるお店に限って、その地域に1店だけにお願いしています。大町だけは地元ですので、いくつかのお店や施設に置かせていただいてますが…。

 うちは一度買ってくれたお客様のリピートが9割です。県外からも送ってほしいと電話が入ります。便秘で悩む方からの注文が多いですよ。

 健康のためになることをコンセプトとして飴作りをしています。飴もキハダ1種類だけだと、お店に置いたときに、やっぱり寂しいんですよ。それで行者にんにく飴も売り出しました。信州の山野草で新たな飴の開発をしていきたいですね。

――大町の地域資源の魅力はなんでしょうか?

古川さん 移住先の選定に関して、北アルプスが見える場所が第一条件でした。キハダや行者にんにくが手に入りやすいのも魅力ですが、周りが親切な人ばかりだということが一番ですね。地域の皆さんには、教えてもらったり、手伝ってもらったり、協力してもらったりと本当にお世話になってます。私たちだけだったら、どうにもなりませんでした。

――今後の事業展開や新たな取り組みがあれば教えてください。

古川さん 平成25年の春から加工しない生の行者にんにくの販売を始めました。新聞広告を入れてね、5月の1ヵ月間、市内のお店に出荷しています。

緑が美しい行者にんにくの葉
5月には期間限定で行者にんにくの生葉を出荷

 行者にんにくは、健康に良い「幻の山菜」として人気があるんですよ。栽培の研究を12、3年やってきました。私一人だけで作ってきたんだけど、それは手間を掛けずに独りでどれだけできるのかを試したかったからです。今は栽培のコツが分かって、手間を掛けなくても、ちゃんと立派に育てる方法が分かりました。現時点でさえ出荷しようと思えば、何百キロって出せます。でもね、これからは行者にんにく生産組合を作り、仲間を募りたいと思っています。やり方は私が教えますから、みんなで一緒に作りましょう…という運動を始めたいんです。

 飴の方は一気に大きく売りたくはないないんです。私が生きている間に少しずつ売れて行けばいいと思っています。だけど、行者にんにくは、ある程度の規模にしたい、それも早くに。なぜかといえば、栽培で一番大変なのは植えるところなんです。それ以外の手間はそれほどでない。ここが機械化できれば、本当に楽になるんです。でも、私一人ではどうにもなりません。タマネギの機械を改良するにしても開発費は半端な金額では収まりませんからね。仲間ができて組合を作って、そこからお金を出して、補助金ももらって開発できれば、行者にんにくは、この地域の産業になりますよ。この辺の休耕田を全部、行者にんにく畑にできたらね、若い人だって他所へ働きに出なくてもいいようになります。私は絶対そうなると思いますよ。

行者にんにくの球根の写真
行者にんにくの球根

 それにはね、行者にんにくの収穫時期は1ヵ月しかないから、これを加工することが必要なんです。今、市場にある行者にんにく入りのしょうゆ漬け、みそ、ギョーザなどには、見ても分からない程度の行者にんにくしか入っていません。山ほど入っている商品があったら皆さん喜びますよ。農業の6次産業化と言ってますが、生産して、加工して、販売までして付加価値を付けていく。そうして生産者の懐に少しでもお金が入るようになったらいいじゃないですか。

 まだ、加工品は試作の段階ですが、評判は上々です。早期の商品化に向けて開発を進めます。合わせて加工場のことも考えなきゃいけない。計画を前に進めるためにも仲間を探しています。この地で一緒に行者にんにく栽培をやりたい方がいたら、ご連絡ください。

キハダ飴看板写真
素朴な看板はご自身がモデル?

企業情報

組織名
キハダ飴本舗
代表者
古川 孝雄
創業
平成20年3月
郵便番号
〒398-0001
住所
長野県大町市平20373-2
電話番号
0261-23-1310
ファックス
0261-23-1310
neppe@i-next.ne.jp
ウェブサイト
http://w01.i-next.ne.jp/%7eg246846522/

のっぺ山荘の所在地

キハダ飴本舗

 
山野草が彩るのっぺ山荘の写真
さまざまな山野草も名物
行者にんにく球根の写真
行者にんにくの球根も販売
アサギマダラの写真
アサキマダラとフジバカマ

次回は「山小屋で働く」の予定です。

関連リンク

○ながの創業サポートオフィス(長野県中小企業振興センター)

○信州人キャリアナビ(長野県商工労働部労働雇用課)

○中小企業相談所ホームページ(大町商工会議所)

○定住促進ホームページ(大町市役所)