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水道事業のあゆみ
はじまりの歴史
明治以前、大町をはじめとする現在の旧市内では、飲み水として主に川水や山間の沢水を利用していました。明治時代に入ると大町は、人の交流や物流が盛んになり、現市街地における飲用水や生活用水として町屋の裏側に整備された「呑み堰(のみせぎ)」では、コレラなど伝染病の集団感染が心配されるようになりました。
これを背景に、市街地に井戸を掘ることを試みましたが、当時の技術では良質な水脈を見つけることが叶いませんでした。そこで、この地域ならではというべき「豊富な湧水」を利用することを考え、大正の時代になって水源調査が行われることとなり、候補地として挙げられた中で、水質、水量や経費などの点から居谷里水源が最適候補地となりました。
当時は居谷里水源を利用する水利組合の専用とされ、農業用水として古くから使われていたことから、水道として利用するために、農業用の溜池を作ることなどを条件に協議が整い、大正12年11月8日に水道工事に着手しました。工事は、有孔管を用いて居谷里の湧水を集水し、同時期に築造された三日町配水池に送水、その後自然流下により市街地へ配水するというもので、10㎞にも及ぶ送配水管は、道路を中心に私有地も通過させる大変な工事でしたが、関係者や地権者の協力から順調に進み、翌年の大正13年12月6日に給水が開始されました。
その後、昭和30年前後には矢沢水源をはじめとした水源開発が行われ、上水道の普及が進められていき、昭和38年からの第一次水道拡張事業において白沢水源を新設、昭和48年からの第二次水道拡張工事において上白沢水源を新設し、豊富な水資源を活用した水道事業が進められていきました。
◎大町市水道事業100周年記念誌
「信濃大町水物語-より安全で安心な水の供給を目指して-」 本編 資料編
目で見る水道の歴史
市で保存されていた昔の水道工事に関係する写真の一部をご紹介します。先人たちの苦労が伺えます。【大正13年頃】

居谷里水源工事

水源地配水池間鋳鉄管埋設工事

上仲町通りの鋳鉄管埋設工事

大町小学校前での消火栓放水訓練
【昭和20年代】

二ツ屋~大原町配水管工事

国号148号付近借馬での送水管布設

農具川横断工事
【昭和30年代】

大原第2配水池コンクリート打

常盤水道 送水管和田川横断工事

宮本水源工事
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