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ホーム 仏崎観音堂(平成23年2月)

仏崎観音堂(平成23年2月)

 今年のお正月に、ある方から、市内にある仏崎の観音堂に二年参りに行ったお話を伺いました。本堂で参拝しご住職から分厚い経文で肩をたたいていただく儀式を受け、毎年、新たな気持ちで新年を迎えておられるとのことでした。
 この観音堂は、私が住んでいる常盤・泉地区に鎮座していることもあって、時折、お参りに行くことがありますが、初詣には行ったことがないので、今年は松の内にと遅ればせながらのお参りに行きました。雪の中に埋もれるように静まるお堂の前で小さなろうそくに灯を灯し、お線香を立て手を合わせて家族の健康、地域の安泰を祈りました。お堂の左手には、天井から大きな数珠が滑車に吊られて下がっていて、手で繰ると、木でできた玉のカチカチという澄んだ音が境内に響きます。

 仏崎観音堂は、「仏崎の観音様」と呼ばれ近在の皆さんの尊崇を受けていますが、とりわけ5月に行われる伝統の「奉納草競馬」には、大勢の観衆が押しかけ、大町の春の風物詩となっています。私も小さいころから、親に連れられお弁当を持って見に行ったものです。
 この観音堂の正式な名は「観音寺」といい、北アルプスの麓の深い杉木立の中にたたずんでいます。本堂は江戸中期に建てられ、善光寺を模したと思われる建築で、仁科33番札所巡りのひとつに数えられています。市街地からは、槍ヶ岳に源を発する高瀬川の清流を、その名もズバリの「観音橋」を渡り、石仏の並ぶ参道を経て山を背にした寺域に至ります。

 不思議なことに、古式ゆかしいお寺なのですが郷土史にざっと目を通してもこの寺の由緒にあまり触れられてはいません。この地方の体系的な歴史研究家、故幅具義先生の研究論文集「ひとすじの道」にもなく、江戸期の寺院関係の史料などにもなかなか出てきません。それでも大町市史には簡単な記述があり、それによりますと、昔から馬の息災を祈った寺とされています。
 また、本堂の裏手の岩山には急峻な石段が築かれ、上り詰めた上方の断崖には岩穴があり、窟堂と呼ばれています。この岩穴には、昔大きな湖だった安曇平を肥沃な土地に切り拓いたという伝説の泉小太郎や、母の犀龍、父の白龍が隠れ住んだといわれていて、「語り継ぐ大町の民話(大町民話の里づくりもんぺの会編)」にも収載されています。

 

 あらためて郷土史を読んでみますと、この場所は、急峻な北アルプスから高瀬川が安曇平に向かって流れ出す谷筋のほとりに位置していて、もともと治水と農業用水の開拓の神さまを祀る適地ではなかったかと考えられています。また、村落を水害から守る信仰の場所とも目されています。

 大町市をはじめ北の安曇野は、昔から河川の氾濫による水害に苦しんだ歴史があり、また、天与の豊富な水資源を、農業用水、市街地の生活用水のほか、水力発電の工業用水などに最大限に活用して地域が発展してきました。今年の初詣で、こうした大町と水との深いかかわりに想いを馳せ、あらためて郷土の無災害と地域経済の力強い再生を祈らずにはいられませんでした。

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