本文へジャンプ

天正寺


天正寺    山門


 鎌倉時代から室町時代のころ、仁科氏は大町市街の都市計画を進めるにあたって、現在の十日町の地に屋敷(居館)を備えました。以来、最後の城主仁科盛信(武田信玄五男)まで10代以上にわたり、ここを本拠に繁栄しましたが、天正10年(1582)盛信が伊那高遠城で織田軍と戦って滅びた後、屋敷の跡は寺に改められ、年号にちなんで天正院(後に天正寺)となりました。現在も周辺には二重に巡らされていた堀や土塁の跡が残り、仁科氏の屋敷であったころの面影を留めています。

 江戸時代の後期に建てられた本堂や庫裏、開山堂、鐘楼などが残り、城門形式の山門は、江戸時代中期の元禄元年(1688)に建てられたもので、長野県内で唯一の県宝三重小塔を所有しています。