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白樺会

日 時 平成19年5月20日 午後5時30分から6時45分
場 所 大町名店街 トレビの泉
懇談した団体等名 白樺会
出席者 白樺会会長ほか9名
市 側 市長 牛越徹
記録 庶務課広聴広報担当係長 勝野礼二

○出席者からのご提案・要望等
(1)会の紹介
  • 白樺会は、昭和34年に大町北高の夜学で学び卒業した、11人のグループ。
  • 7年前から毎月1回集まって懇親を深めたり、まちづくりの勉強をしたりしている。
  • 最近、会の活動のひとつとして、仁科33番札所巡りを実施したところ、大町には、歴史的な多くの文化財があることを実感した。
  • 市民の中には、「大町の文化財は、京都や奈良の文化財にはかなわない」という人がいるが、高根の了瑞庵、三日町の夕陽庵など畳2枚くらいのお寺に、かつて住んでいた人に思いを巡らせるのも面白いと思う。
  • 大町には、王子神社の流鏑馬とかアルプス搗精工場など日本一がたくさんある。
  • その他の活動として、資料として用意した「まちづくりの潮流」について勉強した。
  • 市の第4次総合計画のまちづくりの基本理念「市民参加と協働の市政による地域の再生」についても勉強しているが、分からないこともある。67から70歳の仲間の集まりだが、まちづくりにまだまだ頑張りたい。大町のよさを勉強して、まちづくりに協力したいと考えている。
(2)協働のまちづくりについて
  • 市民が主体的に協働のまちづくりを進めると、公費からの負担が少なくなる場合もある。補助金を頼りにしていた時代と違うとの、市民の意識改革が必要だと思う。まだ、行政からの補助金に頼る傾向が多い。
  • 市街地の活性化などについて、みんなで考えていく時に、ある人の意見が取り上げられて、自分たちの意見が取り上げられなかった場合、不平不満を言う人がいる。気持ちは分かるが、決まったら、みんなで協力する気持ちになることが必要だと思う。
(3)情報発信について
  • まちづくりには、何をどうすればどうなるとあらかじめ分かっているわけではないが、とにかく大町が好きだから、大町を離れている会のメンバーも、毎月集っている。大町には、文化財が多くある。仁科33番札所巡りのこのポスターがいつできたか不明だが、特にこれらは、もっとPRしたいものだと思う。大町の本来の田舎の部分、山の中の部分も見せていくことが大切ではないか。
  • この前、市長がテレビに出ていたが、白馬は知っているが、隣の大町は知らないという人が多い。これまで、情報発信が不足していたのではないかと感じる。以前、大町の日本一のものを、自分で歩いて集めたことがある。10件の日本一があった。当時、新聞で取り上げられたり、市役所ロビーでも展示したりしたが、その後活用がされなくて残念。タクシーの運転手の皆さんも、観光客にPRしてもらえたらと思う。行政からも、インターネットで情報発信してほしい。行政、観光関係者、市民が、大町の日本一を学んで積極的に活用できたらと思う。これまでも関係者に働きかけてきたが、取り上げられないのが不思議である。例えば、函館の函館山からの夜景は、世界の三大夜景とか100万ドルの夜景といわれるが、ただ山の上から夜景を見るだけだ。しかし、シャトルバスで多くの観光客を輸送するなど人気が高い。大町の情報発信について、みんなで考えたい。あちこちでする市長のあいさつの中で、大町の日本一のものを紹介していただけたらと思う。ちょっとした言葉の使い方だと思う
  • 塩の道には、義塩の美談があるが、戦国時代にそんなことはないと思っている。牛方に変装した上杉の間者が、武田方を偵察に来ていたのだと思う。そんな、ミステリーのほうが、お客さんは喜ぶと思う。社の薬師寺には、静御前のお墓があるが、江戸時代の住職が、ここに静御前のお墓をつくっちゃえと、遊び心でつくったと聞いた。ちょっと歴史を曲げて見るのも面白いのではないか。 
  • 義塩の話は確かなもので、塩尻まで塩が行ったと、謙信が漢詩に残している。
  • 日本一をつくっちゃえばいいと思う。何でもいい。鷹狩山でもいい。つくって、発信することが、これからの時代を勝ち抜いていくことにつながると思う。
  • 早春賦は、今は、安曇野の方が有名なのは残念。私は、この歌は作詞家の吉丸さんが、美麻から大町に入ってきたときの情景を歌ったものだと思う。大町の早春賦に関する取り組みは、早春賦を歌う会の皆さんを中心に、さらに横への広がりができればと思う。
  • 早春賦の歌詞を、歌ってみると、あれは稲尾沢を抜けて木崎湖を見たときの気持ちを歌ったものだと思う。学校の春休みのときに、大町に来たのではないか。歌に合わせた映像を作って、イメージづくりをすることも考えられる。
  • 安曇野の皆さんの宣伝力と実行力を見習うことも必要。
  • 全国ブランドの善光寺さんも、本家がどちらかとの話もある。大町もこれからだと思う。
  • 市のHPでの、PRの話が出たが、確かにインターネットは普及していると思うが、我々の年代でHPを開いて見ようとする人は少ないと思う。
  • 市勢要覧は、全戸配布されているがなかなか目を通せない。カレンダー式にすれば、毎日、目に付き、見るのではないか。資料の作り方に見やすくする工夫がほしい。
(4)市街地の活性化について
  • 市街地の活性化に力を入れていただいているが、何が活性化につながるか残念ながら出てこない現状にある。
  • 外国では、市街地にお年寄りの施設を、住宅も含めて建設する例がある。黒部ダムの観光客の2〜3割を市街地に迂回させたらとの意見もあるが、迂回させる何かが無くては不可能だと思う。まず、魅力づくりが大切。
  • 十数年前から市にお願いしていた、扇沢発信濃大町駅着のバス路線の中央通り下仲町付近への停留所の設置について、最近、市長に改めてお願いしたところ、すぐに設置していただいた。感謝している。
  • 大町民話の里づくりもんぺの会の民話の語りや創作人形の活動の場を、市街地に置くのも面白いと思う。地域に伝わる民話で、市民・観光客の交流が図られればと思う。エネルギー博物館の薪バスもくちゃんは、公道を走れる日本でただ1台の薪バスである。中央通りを走らせる計画を考えたい。集客につながると思う。具体的に運行する方向で1歩踏み出したらどうか。
  • 中央通は、シャッターが閉まっている店舗が多くて残念。何とか活気が出てくれればと思う。
  • 市内商店街は、瀕死の状態にある。そこに、店を改造して頑張れとか、遅くまで電気をつけて店を開けろとか言っても難しい。これは夢だが、公営的な商店街を作って、商売をする人から市営住宅のように家賃をもらって、元気のいい商店主の店を4〜5百メートルの間に集積したらどうか。伊勢神宮のおかげ横丁は参考になる。ある程度、手助けしないと商店街は生き返らないと思う。自分の努力で儲けを出すのが本来の商人の姿だが、それくらい厳しい状況である。
  • おかげ横庁は、60億円かけたそうだ。周辺の商店街まで、発展してきている。
(5)その他意見
  • 大町で悪いのは、いまだに、合併前の4町村の地区意識が抜けないことにある。教育委員なども、いまだに地区ごとに1人づつ選任されている。八坂、美麻と合併した今、もう地区意識は無くすときだと思う。

○市長からのお答え、提案
(1)意見交換の場とまちづくりについて
 ちょうど1年前に、県職員を退職して、故郷に帰ってくることを決断した。大町をどんな街にしていくか考えとき、昔ならハード事業を公約に掲げる例が多かったが、地方財政が厳しい状況の中で、あれもやる、これもやるという時代でないことは分かっていた。どんなまちづくりを進めていくかと考え、市民の皆さんの積極的な参加、協働により、みんなの力でまちづくりを進めていくことを、自分の公約の軸にしていくと整理した。協働のまちづくりという字句は、大町が言い出したことではなくて、あちこちで2年ほど前から言われ始めている。今日、用意していただいた資料の中にもまちづくり基本条例というのがあるが、鎌倉市や逗子市で始まっている取り組みである。県内では、ある市が条例をつくろうとして、他の町の条例のコピーのようなものを市議会に提案したことで、問題になったと報道された。県内では、条例の制定をまちづくりの基本に据えていくことは、大きな流れになっていない状況である。

 そんな中、私も暗中模索の中で、協働のまちづくりを去年の夏の公約にさせていただいた。ちょうど平成19年度から向こう10年間のまちづくりの基本となる、第4次総合計画を策定する時期だったので、私の公約や市民の皆さんのご要望を加えて、審議会で審議していただいた。昨年の12月に答申いただいた大町市第4次総合計画基本構想では、まちの将来像を「美しく豊かな自然 文化の風薫る きらり輝くおおまち」とした。市民の皆さんに笑顔がきらっと光るように、地域全体が輝くような、そんなまちづくりをしたいと思っている。
 まちづくりの手法として、「協働と参加」がある。事業を進めるうえで、市民の皆さんに入っていただき、一緒になって協力して、働いていただき、まちづくりを進めたい。この基本構想に基づいて、この3月に本年度から始まる、前期5ヵ年の、具体的な行政を進めていくための計画を策定した。今日は、まちづくりについての、資料もご用意いただいた。実りある懇談会にしたい。

(2)協働のまちづくりについて
 なぜ、協働・参加と言われるようになったか、必要になったかというと、ひとつは、行政側から言えば、100年以上地方行政運営されてきた中で、行政が課題にぶつかったとき、その課題を解決する過程で、さまざまなノウハウ・手法を蓄積してきた。これまでは、その蓄積したノウハウで課題を解決できたが、最近は、急激な人口の減少、少子高齢化、住民ニーズの質的な高まりなどの新しい時代背景から生まれてくる課題には、なかなか今までの解決方法では、解決できなくなってきていることがある。そうした中で、住民の皆さんに積極的に意見、提言をいただく中で解決していく、それが住民参加、協働の現われだと思う。つまり、行政が手詰まりになってきたことが背景にある。

 もうひとつは、今の話と裏返しになるが、住民の皆さんには自分達の意見を直接行政に反映したいという気持ちがある。本来は、議会を通じた間接民主制で、住民の意見を市政に反映するという仕組みだが、なかなかその仕組みが機能していないのではないかとの反省があり、直接行政に意見を伝えたいとのニーズが高まってきた。行政も、事業を決める前に、積極的に住民の皆さんから意見を聴き、決めた後も一緒に事業を担っていただき、それによって、より住民の皆さんに身近な市政、効果の高い市政を進めていきたいとの考えがある。行政側の事情と、住民側の事情がマッチして一緒にまちづくりに取り組んでいこうという流れができてきた。

 お配りいただいた資料の1ページの、「2、個の確立と新しい公の創出」の中に記載のある、「ここで言う「公」は、「お上」や「官」に一方的に決められ、強いられてきた従来の「公共」や「公益」と称するものではない。それは、個人を基盤に力を合わせて共に生み出す新たな「公」である。自分の所属する場にとらわれず、自分の意思で、意識的に社会に関わり合うことで新たに創出されていく公である。」との概念だが、これを資料の裏のページの一番下の表にあるように、協働の領域の設定や公費の負担率など、行政、市民のそれぞれの関わりで考えると分かりやすい。「公共と民間」で考えれば、昔は公共の仕事は行政が担っていたが、今では、公共の仕事でも必ずしも行政が担わない方がいいもの、行政が担うよりも民間が担ったほうがいいもの、いろんなバリエーションができてきている。

 例えば、福祉施設の運営は、主として行政が設置して運営してきたが、今では民間福祉法人、あるいはNPO法人など多彩な運営主体が入っている。公の施設では、保養センター的なもの、大町で言えば市民浴場だが、昔なら行政が設置し行政が運営を担う、市民の皆さんの福利厚生につながるとのことで行政が運営してきた。その後、委託という運営形態ができて、4年前に法律の改正があって、さらに進んで、指定管理者という運営主体に運営をゆだねることによって、純粋な民間資本でもよい、そちらのほうが望ましいと変わってきている。

 「行政が行政の枠組みで運営するとどうしても不効率になる」との反省に立って、もともと行政の仕事とされていた公共の分野が、どんどん民間の主体となる運営に変わってきている。やがては、設置も行政ではなくて民間が設置し、民間が運営することに世の中が動いていくと思う。資料の1ペ−ジ中段に「行政だけが公共を占有するのではなく、市民、市民団体、事業者、行政が、協働して創出し、共に担うもの」と記載があるが、そうした時代になってきたのだと思う。

 協働とは、資料にも記載があるが、「本来の目的や立場の異なる組織や団体が相互に理解し、尊重し合い、違いを認め合ったうえで、住民の福利の向上など共通の目的を設けて、そして、自立した対等の立場に立って、目標達成に向かって努力しあう」ことだと思う。抽象的で難しいが、具体的にはいろんなものを積み重ねていくなかで、固まってくるもので、あと5年くらいはかかると思う。
 これからは、横のつながりの中で、みんなで街づくりをしていく時代だと思う。昨年の秋から、「まちづくり行政懇談会」と名付けて、これまで14団体の皆さんと懇談会を実施してきた。そのほかにも、さまざまな団体の皆さんと、意見交換させていただいている。これは、私の公約の中にある市民の皆さんに、行政にどんどん関与していただきたい、参加していただきたい。そして、協働で、まちづくりに取組んでいただきたいという部分の、第一歩として、さまざまな建設的なご意見ご提言をいただく場にしたい。一方で、市としての、市長としての考え方をお話させていただく場にしたいと考えている。ざっくばらんに、襟を開いて意見交換をさせていただければありがたい。そんな雰囲気の中に、まちづくりのアイデアやヒントを見出していきたい。

 市の将来像には「美しく豊かな自然 文化の風薫る きらり輝く大町」のとおり、「文化」の字句を入れている。文化は、それだけでお金になるわけではないし、地域経済を支えていくことにはならないと思うが、市民の皆さんの気持ちに、ふくよかさ、潤いを持っていただくためには、文化を前面に出すことだと考えたからである。

 この文化には2つの意味がある。ひとつは、今日の市民の皆さんの文化活動、もうひとつは、従来から蓄積されている文化、文化財がある。例えば、音楽、コーラス、絵画など、さまざまな文化活動が行われているし、ギャラリーいーずらなどで、その成果が展示されている。また、今までこの地域に、何百年何千年と築かれてきた、文化の両面を生かしていく必要があると思う。文化財で言えば、この地方は朝廷の仁科御厨として、貢物をしていた歴史があって、その荘官として、仁科氏が御厨を管理していたという。仁科氏が平安末期から中世にかけて、豪族としてこの地を治めるようになって、中世の文化財が、数多く蓄積されている。仁科神明宮、王子神社の三重塔・本殿・観音堂、藤尾の観音堂などがある。江戸時代には、松本藩の大町組として、町衆による自治の風土があり、街が形成されてきた。これらをどう生かしていくかが、大きなテーマである。文化財を生かしながら、市民の潤いと、観光客の誘客も含めて活用していきたい。アイデアを教えていただけたらと思う。

(3)情報発信について
  • 情報発信力は、重要だと思うが、行政はそこが弱いと思う。市の焼却施設は、現在、社の青島にあり、平成22年に耐用年数が来る。それに合わせて、小谷と白馬と大町で、焼却施設を3市村で共同で造ろうと、平成15年から相談をしてきた。北アルプス広域連合の広報紙でお知らせしながら進めてきた。18年の5月頃から最終的な場所、候補地を絞り込み、その過程でも、情報は提供してきているが、いざ白馬の飯森地区に候補地が決まったと報道されて、「そんな話は聞いていない」となっている。行政としては、一生懸命広報してきたつもりでも、広報の力が弱いなと思う。
  • 昨年市長に就任して9月に発刊した、市の情報がいろいろ記載されている「市勢要覧」ともう1つ、毎年作っている健康カレンダーだが、市内全戸にお配りしている。これだけ用意しても、関心が無ければ、ああ配られて来たんだなで終わってしまう。行政の発信力は、つくづく弱いと反省している。そんな状況だが、諦めることなく、発信を続けていきたい。
    先ほどのお話の、市内の日本一の個所は、すべて見て歩いた。市のHPに、市長のページがあり、今日のような懇談会の結果も、掲載してある。今日の懇談内容も、まとめた内容を確認していただいた後、掲載したいと考えている。それとは別に、日ごろ私自身が、感じたり、考えたことをまとめて、例えばクラフトについて、桜について、おきな草について、ワインについて、など11件だが、掲載している。読む人は少ないかもしれないが、情報発信を続けたいと考えている。大町には、全国に発信する材料が数多くあると思う。
  • 昨年、「日本風景街道」という、道の文化を見直す取り組みが、国の主催であった。その会議に、大町でも塩の道があるので参加したが、あいさつの中で、フォッサマグナのお話をさせていただいた。会議の後、政治家のあいさつとしては、珍しかったのか、何件かお手紙をいただいた。大町ならではの、お話をさせていただくことが重要だと感じている。
  • 謙信が信玄に塩を送ったことは私も事実だと思うが、その動機は、解釈が分かれると思う。信玄は最終的に上洛しようとしたが、下伊那の駒場で亡くなってしまう。その時、勝頼に残した遺言に、「これからは上杉謙信を頼れ」と残しているという。戦国時代は、「昨日の敵は今日の味方」ということもあったと思うが、何かのときのためによしみを通じていたのかもしれない。歴史は面白いと思う。
  • 早春賦の発祥の地の争いがある。穂高と大町で、両者が発祥の地といっている。大町の皆さんも、文化会館前に歌碑を立てたり活動されている。これも、言ったものの勝ちではあるが、今は安曇野市が優勢だが、こちらも盛り返して行きたい。
  • 中日新聞の中沢記者が、記事で早春賦を取り上げてくれた。安曇野が優勢なところだが、記事の内容は中立で、大町も安曇野も発祥の地という決め手がないところがある。吉丸さんご本人が何処だと言った記録はない。まだまだ巻き返すチャンスはある。
  • 今日お集まりの会員の皆さん11人いらっしゃるが、インターネットを使っている人は何人くらいいらっしゃいますか。お二人なんですね。県職員時代に、県内のブロードバンド基盤整備の仕事に携わったが、7年位前で、確か全世帯の10%くらいの普及率だったと記憶している。現在は、50%位ではないか。大町には、ケーブルテレビ、有線、NTTなどのサービスがある。エリアも広がると聞いている。使いやすい環境づくりに努めたい。
  • 私は昭和25年生まれだが、私より上の年代の人は、PCに触らずに退職している人が多い。定年後に、人生をふくよかにするために、PCを習う人もいると思う。逆に下の世代は、使うのが当たり前の世代になっている。
(4)市街地の活性化について
  • 「わちがい」は、成功している典型的な例だと思う。苦労は多いようだが頑張っている。中央通沿いには、他にも空いている町屋がある。市は、家賃補助で利活用を促進する制度で、これまでに十数件助成してきた。難しい面もあるが、借りて商売をしたい人もいる。思い切って貸していただければありがたい。
  • 街中で買い物をする場合は、お豆腐はどこで、お野菜はどこでなど、何軒かの店が、商店街にあることが条件になる。用が足りないと、どうしても大型店に行くことになってしまう。シャッターを閉める店が増えると、商店の連たんがなくなる。元気のいいお店が何軒か残っていることが、商店街には大事だと思う。器を作って、元気な人に集まってもらう発想は大事である。中央通の商店街は南北に、1.5キロメートルと長い。虫食い状態になれば全体が沈滞するので、買い物に来ていただくエリアを、絞り込むのがいいのか、器を作るのがいいのか、いろんなやり方はあると思うが、今後ご相談しながら検討したい。例えば、駅から上仲町辺りまでは、観光客の皆さんも駅周辺ということで必要としているエリア。そこにある程度お店が集積すれば買い物にも来やすいのではないかと思う。九日町、大黒町あたりの皆さんは、観光客がそこまで足を延ばすことはないと思うが、駅前まで日曜の買い物に行くのは大変だから、やはりその周辺にもひとつの核が必要だと思う。私が言えば、語弊があるが、皆さんの中で知恵を出し、エリアを集約していくことが必要だと思う。市街地再開発で、ビルを行政が造ると大体うまく行かない。行政、民間が発想を持ち寄って、造ることが一番使いやすいものになる。伊勢の例が出たが、おかげ横丁は、赤福が中心になっている。ひとつのヒントだと思う。
(5)その他意見について
  • 公職の地区ごとの選任は、慣例になっている部分もあると思う。
  • 八坂、美麻が一緒になった新しい町だから、発想を代える必要があるかもしれない。