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ホーム 市長の部屋 市長のつれづれ日記 「早春賦」を歌い継ぐ(令和元年5月)

「早春賦」を歌い継ぐ(令和元年5月)

 大町の今年の春は、3月はずいぶん暖かな日が続きましたが、一転して4月に入ってからは一進一退の毎日で、一時は、昨年に続き早い桜の開花が予想されましたが、4月中旬になっても寒の戻りで、平地に雪の積もる日さえあり、さらに5月上旬にも気温が氷点下まで下がり、一面真っ白な霜に覆われました。
 
 ところで、吉丸一昌作詞、中田章作曲の唱歌「早春賦」は、寒い地方の春まだ浅い季節の情景を詠った歌で、この2番に、「今日もきのうも雪の空」という歌詞があります。例年3月初旬まで雪にすっぽり包まれることの多いこの大町で、今年は3月から4月にかけて、早春賦の歌声がたびたび響きわたりました。
 まず皮切りに、3月3日、「北アルプスに響け・早春の合唱祭」が開かれました。主催は「北アルプス第九を歌う会」で、大町市文化会館で8団体155人が出演して、「アルプス讃歌/われ山に向かいて」に続いて、早春の合唱祭にふさわしく早春賦が歌われました。中村雅夫さんの指揮による全体での合唱に、観客席の私もつられて、つい口ずさんでいました。
 続いて9日には、羽毛田丈史ソロコンサート「イマージュ・プリュム」で、市民から広く一般公募した「一夜限りの春待ち合唱団」の共演が実現し、80人を超える参加者が、羽毛田さんの監修のもとで早春賦を熱唱しました。羽毛田さんは多くの方がご存知のように、葉加瀬太郎や高嶋ちさ子、古澤巌の三大バイオリニストコンサートなどの音楽監督を務める方です。
 このような高名なアーティストとの夢のような共演が実現したのは、市文化会館が企画した「市民舞台創作事業」として、舞台創作技術を学ぶ連続講座があり、その最終回に羽毛田さんのコンサートでのコラボが企画されたのでした。私は残念ながら本番のステージを鑑賞することができませんでしたが、直前の最終リハーサルを見学することができました。素人の私にも分かるほど、熱のこもった感動的な仕上がりでした。
 また、その翌日10日には、大町市芸術文化協会主催による毎年恒例の、市内12の芸術文化団体合同による「羽ばたきの集い」で、「早春賦を愛唱する市民の会」が、会の名前に冠した早春賦を声高らかに歌い上げました。集いのお仕舞には、会場の参加者全員で、長野県の定番「信濃の国」を合唱し、幕を閉じました。
 

■羽毛田丈史ソロコンサート「イマージュ・プリュム」開催チラシ

 全国を巡り、都市緑化の普及啓発を図る第36回の全国都市緑化フェア2019が、長野県と松本市・大町市など4つの市の主催により、6月16日まで開催されています。この「信州花フェスタ」の開会式が4月25日開かれ、メイン会場となった松本平広域公園「やまびこドーム」での式典では、春を緑と花で飾るにふさわしい「早春賦」の大合唱が広い会場いっぱいに響きました。合唱団は、花フェスタのために公募で結集した約150人の皆さんで編成され、ここでも早春賦など春にふさわしい曲目の合唱で、花と緑の祭典の開幕に華を添えました。私も次の登壇を待つ舞台脇でこの歌声に合わせて、口ずさみました。

 また、29日には、この「花フェスタ」の大町市内でのサテライト会場、JR信濃大町駅前広場公園でもオープニングセレモニーが開かれ、式典は、たぐちたみさんの「早春賦」の独唱で始まりました。当日は朝から爽やかな陽気に恵まれ、たぐちさんの清らかな歌声が澄みきった春の空に響き渡りました。
 この日はこれに終わらず、引き続き午後にも、同じ会場で「氷河都市おおまち第20回早春賦音楽祭in信濃大町」が開かれました。主催はやはり「早春賦を愛唱する市民の会」で、花フェスタのタイアップイベントとして、春の歌の数々の合唱を参加者皆で楽しみました。「市民の会」の皆さんには、私も存じ上げる方が数多く参加しており、合唱団と会場の聴衆とが一体となってアットホームな雰囲気に包まれていました。

 この音楽会では、早春賦のほか、百瀬慎太郎の「山を想えば人恋し 人を想えば山恋し」の詞に新しく曲を付けた作品が、初めて披露されました。慎太郎翁は、大正6年、我が国の近代登山の黎明期に、国内初となる大町山案内人組合(今に続く大町登山案内人組合の前身)を設立し、後立山連峰の開拓に力を尽くした対山館の館主で、歌人でもありました。
 今年の大町市の「早春賦の季節」は、この音楽祭でめでたく大団円となりました。
 
 ところで、去年、今年と早春賦に関する本の出版が二つ続きました。
 一つは、作詞された背景を調査、研究した著作として、大町市出身の研究者鹿島岳水さん(本名赤澤寛さん)が「唱歌『早春賦』に魅せられて~半生のドキュメンタリー~」(2018年3月20日発行)を出版されました。この本で、岳水先生は、粘り強い丹念な調査、考究に基づき、歌詞に歌われた情景は大町と結論づけています。吉丸一昌が、早春賦作詞のために当時、大町や安曇野に来訪したという文献上の記録が全くないことを実証的に究明した上で、発祥の地を明らかにしたものです。
 東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授の吉丸一昌の教え子の女学生、崎山輝が教員として赴任した大町実科高等女学校で、「早春賦は大町の歌」として歌唱指導したことを突き止め、崎山先生から音楽を教わった女生徒が、後に実の娘に「早春賦は大町の歌よ」と語っていたという証言を根拠として明示しています。

 ちなみに、吉丸はもう一人の教え子である島田穎治郎を大町中学校に赴任させており、その深い縁で吉丸は大町中学校の校歌を作詞しています。北アルプスの秀麗な姿を表現する「西に東に聳え立つ山は不断の雲を吐き」で始まるこの校歌は、大町南校、大町高校と歌い継がれて、平成28年4月に大町北高と統合して大町岳陽高校となるまでの105年間、生徒や卒業生たちに脈々と歌い継がれてきました。かつて大町高校に学んだ私も在学中愛唱していましたし、卒業後、だいぶ時を経た今でも、同窓生が集う機会には必ず、皆で声を上げて斉唱しています。
 











■氷河都市おおまち第20回早春賦音楽祭in信濃大町にて

 また、今年の春、吉丸一昌の孫に当たる吉丸昌昭さんも「早春賦をつくった吉丸一昌(2019年3月28日発行)」を刊行されました。昌昭さんは奇遇にも大町南校の卒業生で、入学後に初めて母校の校歌がご自身の祖父が明治44年に作詞したことを知ったそうです。早春賦の発表は、それからわずか2年後のことでした。ご本では、祖父に当たる一昌の業績と人となりを、丹念に調査し、エピソードを交えて詳しく辿っています。一昌の生まれ故郷大分県臼杵から、向学心に燃えて進んだ大分中学、熊本五高、そして東京帝大に学び、卒業後、府立三中(現両国高校)に奉職、国語と漢文、剣道を教えたといいます。また、東京音楽学校の教授兼生徒監を務める傍ら、帝大入学後まもなく開いた修養塾で10人程の苦学生と生活を共にし、昼間は府立三中や音楽学校で、夜は夜学校で教鞭を執ったとされています。我が国の音楽教育の黎明期に作詞の大家としてのみならず、教育者としての業績も大きなものがありました。
 
 ところで、昨年10月、信濃大町駅前の公園に吉丸一昌の像が建立されました。像の制作者は、大分大学の佐脇健一名誉教授で、3体制作されたうちの1体が大町市に贈られたのです。寄贈者は香港在住の吉野孝彦さん(昨年3月にご逝去)と奥様の俊子さんで、人を育み青少年教育にかけた吉丸先生の情熱に深い感銘を受け、先生の作詞した早春賦に縁の深い大町市を寄贈先に選んでいただきました。
 佐脇教授によりますと、このブロンズ像は3千年の風雪に耐えることのことで、私たちの故郷のそんなにも先のことはとうてい想像が及びませんが、早春賦を愛唱する会の皆さんは、毎年2回、像の清掃活動を行い、後世にボランティア活動として引き継いでいくことを目指しています。ありがたいことと深く感謝したいと思います。

 大町市内では、四季を通じて防災行政無線の屋外機を通して、毎日夕方6時に早春賦のメロディーが流れてきます。雪国の大町では、長く厳しい冬に耐え、春の到来を待ち焦がれる市民の気持はひとしおです。これからも、多くの皆さんに早春賦愛唱の輪が広がり、その澄んだ歌声が北アルプスの麓に響くとともに、後世に歌い継がれることを祈っています。

 


覚え書き

明治44年(1911)4月   (旧制)大町中学校に島田 穎治郎 赴任、6月 校歌 発表
大正 2年 (1913)  2月   早春賦 発表
大正 2年 (1913)  4月   大町実科 高等女学校に 崎山 輝 嬢
平成12年(2000)10月22日 早春賦 歌碑 建立 大町市文化会館 前庭
平成29年(2017)4月23日 早春賦 歌碑 建立 JR信濃大町駅前広場公園
平成30年(2018)10月27日 吉丸 一昌 銅像 建立 JR信濃大町駅前広場公園

※鹿島岳水(本名 赤澤 寛)著、吉丸 昌昭 著 2冊の文献は、市立大町図書館 蔵書

■吉丸一昌ブロンズ像除幕式で

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