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リオデジャネイロ駆け足見聞録 その3(平成28年11月)

○住宅事情、ファベーラと高層マンション
 私たちが宿舎にしたのは、バーハ・セントラルパークという周囲を鉄格子の柵で囲まれた広い敷地に建つ7棟ほどのマンション群の中の1室でした。市内のホテル料金は急騰していて普段の20倍ともいわれ、また、バドミントンなどの会場があるバーハ地区は新規に開発されたばかりでホテルがないとのことで、マンションの空き室が宿舎として確保されたのでした。
 宿舎の目の前には、並木通りをはさんでリオ・セントロ競技会場があり、その広大な敷地には何棟もの大きなパビリオンが建っていて、その一つがバドミントン会場でした。ほかにも、各パビリオンの中に卓球、重量挙げ、ボクシングの会場が設けられていました。
 宿舎の敷地のゲートには警備員の詰め所があって、常時23人の制服姿のガードマンが常駐して出入りする車をチェックしています。徒歩で出入りするにも同じで、到着した初日に1人ずつ写真を撮って作ったカードをその都度提示することになっていました。厳重なセキュリティ管理です。しかし厳格だったのは最初の一日のみで、翌日からは、なし崩し的に顔パスとなり、とても大雑把でした。あるいは、顔をしっかり覚えられていたのかも知れませんが。
 各棟に入るには暗証番号キーで、ここは相手が機械ですから「適当に」などという融通はききません。最後までお目こぼしはありませんでした。ところが、肝心の部屋のドアは私たちが到着した日からノブが不具合で、とうとう何日目かにすっぽり抜けてしまい、修繕してもらう羽目になりました。
 部屋の設備もしっかりしていて、各戸にテラスが付き、それもガラス張りになっていて、蚊さえも寄せ付けない構造でした。ところが、なんとエアコンの室外機はガラス張りのテラスの中に設置されていたため、知らずにスイッチを押して涼しくなるのを待っていたところ、温かい風が逆流してきて驚いてしまいました。まったく想定外です。あるいはこの部屋の持ち主が自営工事で取り付けようとして、構造上仕方なくそうなったのかもしれません。
 そういえば、シャワー室は2か所ありましたが、どちらもトイレや洗面所との間を仕切るガラス戸がぴったり閉まらず、シャワーを浴びるたびに水が床に流れ出てしまい閉口しました。帰国後に雑誌の記事で、希望さんたちの宿泊した選手村や報道陣のメディア村でさえも同じことが起こっていたようで、こうした些細な?ことにはあまり頓着しないおおらかなお国柄なんだと納得しました。

 現地の人たちの住宅事情はというと、通りすがりの車の窓から目を向けると、20階もある高層マンション群があちこちに林立している近代的な都市景観が目に留まります。そして一方では、そのすぐ隣には古びたトタンを屋根に載せた小さな住戸がひしめいています。こうした対照的な光景は、600万人が暮らすリオの街の随所に見られました。高層マンション群とファベーラと呼ばれるスラム街。光と影、大きな落差に気持が鉛のように重く沈みました。
 ブラジルは、このオリンピックをバネとして、先進国へと大きく飛躍することを目指していました。南米大陸で初めてのオリンピック開催地となったブラジル(B)は、しばらく前までロシア(R)やインド(I)、中国(C)とともに、BRICsと呼ばれる新興国として目覚しい経済成長を遂げ、そう遠くない将来、先進諸国の仲間入りも夢ではないと言われていました。しかし、2008年のリーマンショックに端を発した世界金融危機による国際経済の破綻に伴い、一転して国内経済が停滞して、2010年に7.5%を記録していた成長率は12年には0.9%に落ち込み、今も足踏みが続いています。もし、もうしばらく順調に成長が続いていたら、あるいは貧困に苦しんでいた人々も救済され、国民の間の格差もずいぶん改善されたのではと考えると、複雑な気持です。

○食べもの事情
 リオには、応援のための4日間だけの滞在だったこともあって街に出る機会は少なく、日本を代表するスポーツメーカーMIZUNOの現地での選手へのサポート拠点になっていたゲストハウスを表敬訪問した際などに、わずかに街の様子を垣間見ただけでした。中でも高層マンション群とファベーラの極端な格差が強く印象に残りましたが、ほかにはそう大きな違和感はありませんでした。
 ただ食事にはびっくりしました。余りにも大盛りなのです。マンションを借りた宿舎では、食事は自炊です。申し訳ないことに二條議長さんが毎食、手際よく作ってくれていて、私はその間、メモを整理してデイリーレポートを書いたり、キッチンの辺りをうろうろしていただけで、ご迷惑をかけてしまいました。ある日、野菜類の買出しを兼ねて皆でショッピングモールに出かけた折に昼食に入ったレストランで、隣の客が美味そうに食べている料理を見てメニューを確かめると、700グラムのビーフステーキとあります。私でさえ以前、350グラムまで完食の経験があり、男4人なら、ま、3皿ぐらいはいけそうだということになりました、そして、この700グラムを含め肉系の料理3皿を注文したところ、テーブルにやってきたのを直かに見てひるんでしまいました。とてつもない大盛りです。しかし、途中で休むと先が続かないと思い皆でひたすら挑戦し続けましたが、ついにギブアップ、1皿分をほぼ残して無残に敗退しました。
 帰途のドバイでも同じ轍を踏んでしまいました。乗り継ぎのため空港内で待っている間、乗ってから出されるまでの小腹をと入ったイタリアンレストランでも完敗を喫しました。隣の席のピザがとても美味そうで、量もそんなに多く見えなかったので、同行の4人で1枚を注文したところ、やってきたのを間近に見ると、意外に厚い生地でできていて、結局、半分近くも残してしまいました。経験がまったく生かされず、しかも人類共通の理念、ごみゼロの本旨にはほど遠い無謀なチャレンジでした。

○リオから帰って
 日間の渡航で現地滞在はわずか4日間だけだったにも関わらず、昼夜逆転の生活が響いたのか、はたまた過激な応援と寝不足がたたったのか、帰ってからの時差ボケはひどいものでした。日曜の夜10時半に家に着いたため、翌日は一日休みをもらって荷物整理に充てようと思っていましたが、いくつか仕事の予定が入ってしまい、急遽変更して月曜朝10時に出勤して仕事に取りかかりました。そして、翌日の火曜日まではまったく影響が出なかったので、やはり自分は時差ボケに強いんだと勝手に思っていました。緊張感もあったのでしょう。ところが3日目の水曜あたりから、ちょうど現地では真夜中にあたる昼過ぎの1時から3時ごろになると、打合わせ中も目を開いたまま眠りかけるような始末で、結局、普通の状態に戻るのに1週間もかかりました。

 しかし、食べものの量の違いやそれを胃袋に納める体格の違い、さらにはものの考え方や感じ方の違いなど、リオでの滞在や旅行の行程で遭遇した様々な体験は、人間の多様性や普遍性ということを考える貴重な経験でした。そして、海や大陸を隔てた遙か彼方のリオデジャネイロは、意を決して赴いた私にとって様々な想いを巡らせてくれた感動の地でした。

 全国を大きな感動の渦に巻き込み、今年の夏をいっそう熱くしたリオ・オリンピック、パラリンピックからすでに2か月半。目の前に仰ぎ見る北アルプス後立山連峰の初冠雪とともに、夏の思い出も遠いものになってきました。しかし、私たちの大町市を大いに元気づけてくれたバドミントン女子シングルスの銅メダリスト、奥原希望さんの大活躍と感動の記憶は、決して市民の皆さんの脳裏から消え去ることはないと断言します。

■宿舎となったバーハセントラルパークのマンション


■宿舎での食後のひととき


■リビングで寛ぐ


■選手村となったマンション群


■街なかのマンション群と小さな住宅


■ファベーラと呼ばれる住宅街


■街角の落書き


■バドミントン会場の熱気


■バドミントン女子シングルスの表彰式