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リオデジャネイロオリンピック応援記 その1(平成28年9月)

秋風が涼しい9月下旬になっても、この夏のリオデジャネイロオリンピックでの、奥原希望さんの大活躍の感激と興奮が冷めることはありません。
全力で戦ったリオでの奥原さんは、オリンピックの大舞台で溌剌としてひた向きなプレーで私たち大町市民だけでなく、全国の皆さんに大きな感動を呼び起こしました。そして、躍動する奥原さんの姿がこれほど多くの人々の心を揺り動かしたことにも、感動しています。

バーハ地区リオセントロ会場近くの宿舎となったコンドミニアム(3階左側の部屋)

■バーハ地区リオセントロ会場近くの宿舎となったコンドミニアム(3階左側の部屋)

8月14日から、4泊8日という強行日程で、激励と応援のためにリオデジャネイロに向かいました。大町からは後発組として、市議会二條孝夫議長さんと二人旅で、成田を発ち中東ドバイを経由してリオに着きました。市内バーハ地区のオリンピック会場に隣接する宿舎の玄関に、疲労困ぱいで辿り着いたのは、家の玄関を出てからちょうど40時間後の15日午後5時でした。ちょうど地球の真裏に当たるため、日本との時差は12時間で、日本時間では16日午前5時ということになります。

宿舎に着いた早々、奥原希望選手の試合にぎりぎり間に合うことが分かり、急遽、競技会場へ駆けつけることになりました。たぶん間に合わないと諦めていた決勝トーナメントの1回戦で、予選リーグ戦を勝ち抜いたベスト16人による試合です。あわててトランクを開け、法被と日の丸鉢巻だけを引っ張り出し、顔も洗わず着替えもせず、試合会場に駆けつけることにしました。

決勝トーナメント1回戦 韓国ペ・ヨンジュ選手と対戦

■決勝トーナメント1回戦 韓国ペ・ヨンジュ選手と対戦

市内4か所のオリンピック会場地のうち、このバーハ地区では全部で31の競技が行われ、そのうちバドミントンや卓球など4つが行われるリオセントロ会場は、着いた宿舎の並木通りを挟んだすぐ前が敷地です。しかし、観客ゲートは、宿舎からはぐるっと回った反対側にあり、しかもバドミントンのパビリオンは会場の何棟かの建物のうち最も奥にありました。ちょうど宿舎に向かって戻ってくるような形になり、結局、宿舎の目の前にあるのに遠回りして2.5キロも歩き、40分もかかりました。ようやく応援席に着いたのは6時、息絶え絶えの態で、先行してリオに入っていた希望さんのご両親の圭永さん、秀子さんを始め、ご家族の皆さんや諏訪県議さんとようやく合流できました。

いよいよ決勝トーナメント

決勝トーナメント1回戦、ベスト16の戦いです。予選リーグの2試合では希望さんはダブルスコアの完璧なプレーで、1ゲームも失うことなく圧倒的な強さで勝利しています。この強さは、幼い頃からお父さんと重ねた壮絶な練習の中から生まれたものと、新聞報道にありました。何事にも一生懸命に取り組ませたかったとお父さんは述べています。

バドミントン応援の合間に

■バドミントン応援の合間に

競技会場では、日程が遅れ遅れになっていて、希望さんの試合は午後6時半からで、オレンジ色のユニフォームの希望さんがゆっくりとした足取りで会場に入ってきました。私達が声援を送り盛んに手を振ると、穏やかな表情で顔を向けゆっくり歩いてコート脇に着きました。そして、バッグを荷物入れに置くと、いつも欠かさないルーティンのお辞儀を深々としてコートに入り、入念にストレッチを始めました。
トーナメント初戦の相手は韓国のペ・ヨンジュ選手で、世界ランキング17位の実力ある選手です。もちろんランクに差はありますが、決して油断はできません。

決勝トーナメント1回戦、完勝の後で

■決勝トーナメント1回戦、完勝の後で

希望さんは立ち上がり最初のポイントを取ると、そのまま点を重ね連続6-0まで行く好調な滑り出しで、結局21-6で第1ゲームを終えました。続く第2ゲームも先手を取り、連続してポイントを重ねる一方、相手にはなかなか連続ポイントを与えずに、21-7のトリプルスコアで終了。圧倒的な強さで締めくくりました。試合の間じゅう、長いラリーを続ける中、戦略を組み立て何手も先を読んで前後左右、高低を自在に振り、相手の体勢を崩して決める。それも何重にも決め所を持っているように見えました。高い精度のショットを繰り出し、畳み掛ける強さで試合を決めると、再び穏やかな表情に戻りコートに向かって礼をしました。最後まで変わることのない冷静さと礼儀正しさにも、観客席からは、大きな拍手が起こっていました。ずっと後に雑誌のインタビューでも、この試合を振り返り、「ベストパフォーマンスだった」と語っていました。

リオセントロ会場の観客ゲート前で

■リオセントロ会場の観客ゲート前で

目の前で、現実に希望さんのオリンピックでの完璧な勝利を生で見て、私が今ここにいることがまるで夢のような不思議な感覚でした。試合が終わってからも、しばらく気持が高ぶったままでした。

ゲームの間には、ラリーが途切れるたびに、一斉に応援席から希望さんに向かって声援が飛びます。応援の掛け声は希望さんの所属チーム、ユニシス応援団の女性リーダー澤田さんの、「いっけー行け行け、行け行けのぞみぃ~、行け行けのぞみっ」「おっせー押せ押せ、押せ押せのぞみぃ~、押せ押せのぞみっ、Go ! Fight! Win!」の掛け声に合わせてのコールで応援席もいっそう盛り上がっていました。実はこの掛け声の、Go! Fight!…のところを私は勘違いして「もーいっぽん!」とずっと叫んでいました。語呂が似てはいるもののお恥ずかしい限りです。
ところで、大町でパブリックビューイングを観戦していた知り合いの方からも、盛り上がっている光景の写真がメールで送られてきました。ついでに、「市長さんたちも、しっかり応援姿がテレビに映っていましたよ」と書かれていて、ちょっと不安になった私は、どのように映っていました?と返信したところ、その返事には、「普通だった」とあり、普通って?と、なお不安が残りました。何せ、我を忘れ、なりふり構わず声を枯らして応援していたものですから、自分の姿が心配になったのです。試合中、途切れることなく声援が送られる応援席に身を置いていると、無我夢中になり、みんなが応援ハイの状態にトランスするのでした。

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