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ホーム 私の高度情報化(その2)(平成25年9月)

私の高度情報化(その2)(平成25年9月)

 さて、平成3年からは、長野冬季オリンピック組織委員会に勤務して、大会の開催準備、運営に携わることになり、情報環境が急速に整い始めました。日常の事務処理では、当初は接続に多少の時間がかかることもありましたが、メールを始めインターネット環境が整い、業務に使うソフトとして、マイクロソフトのワードやエクセルを便利に使うようになりました。これまでも様々なソフトを、機械が変わるたびに必要に迫られて使いこなせるようになってはいたものの、考えてみれば、急速に身のまわりで起こる情報処理技術の目が回るような進歩に、よくもまあ、ついて来たものだと感心します。

 オリンピックの運営では、競技の判定から結果を処理するリザルトシステムはもちろん、大会運営のすべてがシステムにより処理することになっていて、その膨大な情報を処理するあらゆる分野のシステムの構築が必要でした。これを作り上げるために、組織委員会の発足からほんの少しの間は私の部署が担当していましたが、素人の手に負えるわけはありません。間もなく専門セクションが立ち上がり、情報通信分野の専門家やオフィシャルスポンサーとなったIBMやセイコー、NTT等からの技術者集団がこれに当たるようになって、素人の手からすっかり離れていきました。

 長野オリンピックの管理運営は、各分野にわたる情報処理の膨大なシステムによって支えられました。14の競技会場と運営本部など管理中枢を結び、正確性が求められる競技運営をはじめ、144万人もの観客へのサービスや、世界中で視聴されるテレビ放送等、マスメディアへの対応にも十分配慮した、的確かつ信頼性の高い情報提供が大きな使命でした。

 まず、7種目68種目の競技の進行管理・制御と、競技の計時・計測のリザルトシステムがあります。このリザルトシステムでは、競技会場ごとに処理を行うベニューシステムと、データベース全体を統括するホストシステムに分かれていました。このうちベニューシステムは、長野の前のノルウェー・リレハンメル大会から採用された分散処理方式として、いくつかのワークステーションで構成され、LANで接続されていました。また、大会関係者、報道関係者などへの情報ツールとして、イントラネットのInfo’98というシステムが威力を発揮し、大会を通じアクセス件数は1,140万件に上りました。

 大会全体のシステムに組み込まれた情報機器の数で見ますと、サーバは287台、パソコン(PC)は、デスクトップ、ノート会わせて3,391台にのぼり、全体では6,233台もの機器が配備されました。
 なお、詳しくは、第18回長野オリンピック公式報告書第1巻のP200から31ページにわたり記述されていますので、関心のある方はご覧いただきたいと思います。

 1998長野オリンピックは、ご存じのとおり大成功のうちに終了し、私はまた、県庁に戻り行政マンとしての仕事に復帰して、平成12年からは情報政策課に籍を置くことになりました。その時期はちょうど高度情報化の真っただ中で、県としても戦略的に情報基盤の整備、構築を進めるとともに、県民の皆さんの情報理解と活用、いわゆる情報リテラシーの向上に力を注ぐ時期でした。

 長野情報ハイウェイ構想の策定もこの時期のことだったと記憶しています。また、県政自体の情報化とホームページの充実など、県民への情報発信の強化なども大きなテーマとなっていました。組織内の情報環境としてイントラネットの構築も進み、インターネットでの情報検索やメールの広範な活用など、時代を画する急速な発展がありました。

 当時、情報リテラシーという言葉が政策上のキーワードになっていました。リテラシーとは、「社会、個人が活用を進めるために必要な、情報に関する意識と知識、技術、態度及び行動の総体」をいうそうですが、どのようにして県民の皆さんが広く情報化の恩恵を享受できるかが大きな課題でした。情報システムに身近にアクセスできる環境をどう整えるのか、簡単に解ける問題ではなさそうでした。

 しかし、その後この問題は、行政が旗を振って進めるまでもなく、時間の経過とともに自然に解決に向かいました。それは、携帯電話の普及に見られるように、情報機器の進歩とそれを活用する仕組みの便利さゆえに、日常の暮らしの必需品となり、社会にとってもなくてはならない普通の基盤となっていったのです。

 私が最初に情報化に接した35年前を振り返ってみますと、今日のような状況は想像さえできませんでした。誰もが高度な情報機器に、違和感なくごく普通に囲まれ、使いこなす時代が実現するとは。

 つい先日のこと、家でインターネットの接続ができなくなり、業者さんに見てもらったところ、数日前の豪雨の際、近くに雷が落ちたらしく、その影響でパソコン本体の回線接続部が壊れているとのこと。雷除けのサンダーカットというのを付けていたのに、なんて言っても後の祭りです。

 パソコンを修理するには結構費用が掛かりそうなので、コードを外して無線LAN方式で試してもらったところ、回線がつながることがわかり、即決で手配をお願いしました。初めて見るルータはずいぶん小さなもので、文庫本程度の大きさです。これで家の中どこへも手軽に端末を持ち歩くことができるようになりました。今頃になっての初体験で、あらためて日々進化する情報化の歩みと、その都度、乗り遅れている自分の姿を再確認した次第です。

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庶務課秘書係 内線 507
E-mail: hisyo@city.omachi.nagano.jp

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