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大町流鏑馬太鼓(平成25年7月)

 長野県下では、各地に多くの太鼓のグループが結成され、盛んに活動しています。あの勇壮な太鼓の響きは、特に祭りやイベントの大きな盛り上がりには欠くことができません。大町流鏑馬太鼓(やぶさめだいこ)も、大町の誇る伝統芸能として郷土に根ざした長い歴史を刻んできています。

 流鏑馬太鼓の名前は、毎年大町の夏を彩る若一王子(にゃくいちおうじ)神社の例大祭で町を巡行し、神前に奉納される流鏑馬の神事に由来します。この流鏑馬の神事は、歴史は遠く鎌倉時代の承久の乱のおり、西面の武士として後鳥羽上皇の幕府追討に従っていた仁科の荘の領主、仁科盛遠が、出陣に際して神前に流鏑馬を奉納し武運を祈ったという故事に起源を持つといわれます。そして、神社の神前に武士を集めるため、大太鼓を打ち鳴らしたという古くからの伝承にちなみ、昭和49年に流鏑馬太鼓が創設されたのです。

 そもそも流鏑馬は、鎌倉時代、武士の武術鍛錬として奨励された騎馬による弓矢の技術で、武家の嗜みとして伝承されてきましたが、とっくに武士のいなくなった現在では、おもに神社の神事として伝えられています。
 この「流鏑馬」という漢字もなかなかの難物で、この3文字に突然に出食わしますと、手ごわい字面を読むのに一瞬、「う、う~ん・・・」と、うなってしまいます。さらに、すらすら書くのはもっと苦労です。いかにも漢字検定とかに出題されそうですが、もし書き取りのほうに出されれば、悩んだあげくギブアップが続出すること請け合いです。恥ずかしいことに、私も当地の伝統行事を自慢げに紹介しておりながら、手書きのときにはいつも苦心しています。
 
 私たちの大町市は、江戸時代を通じて松本藩の藩領でした。農村経済の中心地として町が発展してきたため、多くの歴史、文化遺産に恵まれていますが、江戸時代以前の中世の文化財も数多く残されています。市街地の中心部には、若一王子神社や、竈(かまど)神社の社殿が、うっそうと茂る社叢に包まれて静かにたたずんでいます。王子神社の本殿は国の重文に、または神社には珍しい三重の塔などは県宝に、さらにこの流鏑馬の神事は無形民俗文化財に指定されています。

 

 祭りも盛んで、夏に行われるこの王子神社の例大祭では、各町から出される6台の舞台(山車)が、にぎやかな笛や太鼓の音色を響かせながら通りを曳行され、神社まで進みます。祭りのもう一つの呼び物がこの流鏑馬で、装束に身を固めた10騎の凛々しくもかわいらしい少年騎馬武者が、「ハーオ、ハオ!」の勇壮な掛け声とともに、古式ゆかしく行進します。
7月に入りますと、町なかではお囃子を練習する笛、太鼓の情感あふれる音に、「あ、今年もいよいよだな」と、祭りが近づいてきたこと実感します。


 さて、流鏑馬太鼓のことに戻ります。王子神社に古くから伝わる流鏑馬にちなんで結成されて以来、市内での演奏活動にとどまらず、広くヨーロッパやアメリカなど、海外での演奏も経験しています。また、現在、女性や若いメンバーも参加しており、子ども連の育成指導や後継者の養成にも力を入れています。
 海外の活動で特筆されるのは、大町市と姉妹都市提携を結んでいるオーストリアのインスブルック市とのご縁で、平成7年11月、同国で開催された第10回ジャパンウィークに招かれたときの公演です。ザルツブルクのモーツァルト音楽院大ホールでの打ち手12人による力強い演奏は、日本の伝統文化を広く紹介するとともに、流鏑馬太鼓の名をいっそう高める機会となりました。

 ちなみに、大町市とインスブルック市の交流は、昭和60年の姉妹都市提携以来今年で28年目を迎え、その間、大町市少年少女合唱団とウィーン少年合唱団との交流をはじめ、山岳博物館の学術交流、商工会議所などの産業経済団体や行政などによる幅広い交流が続けられてきました。
昨年秋には、大町山岳博物館と館同士でも友好提携を結んでいるインスブルック市のアルプス動物園創立50周年式典に私も出席し、両市、両館の旧交を温め、今後の友好を誓い合いました。
 なお、流鏑馬太鼓は、この姉妹提携がなる前の、昭和51年のインスブルック冬季オリンピックでの「日本文化とスキーの夕べ」にも招かれ、当地でもっとも有名な観光スポット、黄金の小屋根広場で演奏しています。

 現在の活動のハイライトは、なんといっても王子神社の夏祭りと市民総出のやまびこまつりでの演奏です。王子神社の祭りは、以前は曜日に関係なく3日間とされ、この間は小学校も休校になっていましたが、最近では参加者の便を図るとともに、より多くの観光客の皆さんに見ていただきたいとの理由で週末に移り、今年は26日(金)から28日(日)に執り行われます。また、
やまびこまつりは8月初旬の土曜日、今年は8月3日で、流鏑馬太鼓のほか、源流美麻太鼓や、八坂青竜太鼓も出演して大きな盛り上がりが楽しみです。

大地を揺るがすような太鼓の演奏を聞いていますと、力強い響きに体中が心地よく共鳴して、初めは後ろの方で遠巻きにしていても徐々に足が前に出て行き、気が付けばバチが飛んでくるほど近い最前列で、かぶり付くようにしていることが間々あります。

 

 流鏑馬太鼓が演奏する主な曲目には、「流し打ち」、「鏑打ち」、「お馬返し」などがあり、これらの曲名はそれぞれ、「流鏑馬」を構成する3つの字をもとにしています。「流し打ち」は、馬にまたがった少年武者が従者を従えて王子神社へ向かうさまを表現し、「鏑打ち」は、神社の祭りの雰囲気をイメージして作られ、特に中盤からの流鏑馬の躍動感は聞き応えがあります。また、「お馬返し」は、神社の境内を騎馬で回りながら、少年武者が的に矢を射るさまを表しています。私はこれらの曲の中で、最も動きが大きい「お馬返し」が一番好きです。横一列に並ぶ太鼓を何人もが次々に打ちつなぎ、バチ捌きを披露する演奏は見ものです。


 このほか、子ども太鼓連の曲に、若く元気あふれる子馬をイメージした「若駒」があります。
子ども連は昭和55年に結成され、こちらも長い歴史を有していますが、今も大人顔負けの颯爽とした出で立ちで、見事な演奏を見せてくれます。小学4年生から中学3年生が活動していますが、メンバーは随時募集中とのことで、毎年、竈神社での演奏には多くのファンが詰め掛けます。

 先ほど流鏑馬太鼓の創設が昭和49年と書きましたが、そうすると来年は創立以来40年という大きな節目の年を迎えることになります。ふるさとに根ざした伝統ある太鼓が、地域の文化活動の大きな担い手として、さらに発展を遂げていくことを心から期待しています。

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