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現在位置:HOMEから残された戦時機密資料(平成24年1月)
更新日: 2012年1月27日

残された戦時機密資料(平成24年1月)

 暮れも押し迫った12月17日、大町市文化会館で一本のドキュメンタリー映画の上映会が行われました。映画の名は「大本営最後の指令〜残された戦時機密資料が語るもの〜」。題名が示すように、太平洋戦争の終戦直後に出された一通の指令文書が発端となっています。
昭和20年8月18日に大本営から全国に出された命令は、全国の市町村役場で行われていた徴兵事務などすべての戦時中の軍事に関する書類をいっさい処分せよというものでした。ですからこうした文書類は今どこにも残っているはずはないのですが、平成20年4月、現在大町市となっている旧社村の旧家の土蔵から兵事資料が発見されたのです。戦時中ずっと社村役場で兵事係として事務に当たっていた大日向正門さんは、終戦直後、こうした秘密書類一式を廃棄せずに自宅に持ち帰り、蔵の奥に固く仕舞い置いたのです。平成18年に91歳で世を去った正門さんの一周忌が終わったあと、家族が蔵に入って奥の箪笥を開けたところ、大量の資料が出てきたのです。

この200冊にも上る貴重な資料が発見されたことは、その後新聞やテレビの報道を通じてずいぶん大きな話題となりました。全国的には、本県では上伊那郡の旧赤穂町(現駒ヶ根市)や滋賀県など他にも5例ほどが確認されているそうですが、大町の資料は専門家による調査の結果、系統的に揃っており、資料の量も全国有数なのだそうです。
 生前、正門さんは家族に対し「決して蔵の2階に行ってはいけない、魂が宿っているから。」と諭していたそうです。発見者であるご長男功さんは、蔵の箪笥に残されていた大量の秘密書類の中に綴られていた赤紙(召集令状)を目にして、幾日も眠れなかったとのことです。そして、悩んだ末、心ならずも村民を戦場に送り出した村の記録を公開することを決意して大町市文化財センターに寄託され、これにより今回の映画化につながったのです。

正門さんが、終戦時に、軍の命令に背いてまで、記録を残そうとした気持は、今となってはわかりませんが、指令書の文言には、まるで「逃げ」を打つかのように、「特ニ保存アルモノハ所轄官庁ニ打合ノ上隠匿スル等適宜ノ措置(特に必要なものであれば管轄の役所と打合せて隠匿するなど適宜処理)」をしてもよい旨の記載があり、きっとこの部分を広く解釈して資料を焼却処分しないで残したのではないかと思われます。というのも、正門さんは生前、「記録に残せ、記録は残せ。」と語っていたそうです。記録というものの重要性を十分に認識されていたからこその英断だったと思います。そして、発見したこの資料を公開することを決断された家族の思いも重く尊いものだったと思います。
私自身も社地区で生まれ育ち、小学校へ通うにも資料が発見された大日向家の前を通って通学していたものですから、感慨深いものがあります。大日向家の屋敷の裏側には、樹齢何百年というイチョウの大木がそびえていたため、この家は通称「イチョウの木」と呼ばれていて、子ども心にも由緒というか古い歴史というものを肌で感じていたことを覚えています。

今年91歳になる私の父高橋恭男も戦争に出征しましたが、この資料の中には父自身の徴兵検査などの記録がそのまま残っていました。父はフランス領インドシナ(仏印、現在のベトナム)で第21師団司令部通信隊員として従軍し、戦後抑留を経て無事生還を果たしましたが、この映画でも生存者の一人として取材に応じ、戦争の証言者として登場しています。インタビューに答えた父の口からは、戦争の悲惨さ、とりわけ死をも恐れぬ兵を作り上げる初年兵教育の厳しさが語られていました。
 父は自らの戦争体験について、日頃、私たち子供の前でそう多くを語ったことはありませんでした。しかし、以前、師団通信隊戦友会の一員として当時の戦地を尋ねる慰霊の旅に赴き、帰国後に父が編集責任者となって参加者の紀行文を取りまとめ、一冊の本、「戦跡慰霊の旅(93年3月森出版)」として出版しましたが、その際私も校正作業を手伝いながら文章を読み、初めて父の体験した悲惨な戦争の実相を知りました。

映画の上映会では、大町市民を始め1000人を超える多くの皆さんにご覧いただきました。映画の制作には吉丸昌昭プロデューサー、長尾栄治監督に大変なお骨折をいただきました。特に吉丸さんは大町高校の卒業生であり、映像を通じて大町の風土を盛り込み描いていただきました。また、この上映会の開催には飯嶌楯雄委員長を始め実行委員会の皆さんの並々ならぬご尽力がありました。
上映に引き続いて行われたシンポジウムの開会のご挨拶で、私はこの日の上映会の意義について、まず兵事記録が66年前に大日向正門さんの決意で残されたこと、また、埋もれていた貴重な資料をご家族が発見し公表を決断されたことにより世に出たことを挙げました。これにより、国家の意思として始められた太平洋戦争の遂行を支えた徴兵などの仕組みが、資料を通していっそう明らかになることが期待されます。

2つ目の意義として、これを映像記録として映画に残され、大勢の皆さんに見ていただくことができたこと。映画の中では、長尾監督の丹念な取材により映像化された、戦争に赴き幸いにして生還された方々の証言が胸に迫ります。厳しい新兵訓練に続き、戦陣での激しい戦闘、そして飢餓との闘い。また、一家の大黒柱を戦地に送り出し、残された妻や家族の悲痛な思い。特に、赤紙と呼ばれた召集令状を手渡されたとき、すでに命はないものと覚悟を決めたという生々しい言葉は、今なお私たちの心に刺さります。
 証言された方の多くは既に90歳を超えていて、戦争の最後の証言者でもあります。その意味でも、今後より多くの皆さんにこの映画をご覧いただきたいと切に願います。

吉丸さんは、取材の合間に市役所にお立ち寄りになった折、ぽつりと呟かれたことがありました。兵事記録がこの大町、社の地に残されたことについて、「やはり、社地区は仁科の里という歴史的な風土があったからでしょうかね。」と。大町市社地区には、平安時代中期に起源を持つ仁科御厨(みくりや、伊勢神宮の社領)が置かれて以来、ここを治めていた仁科氏の戦国時代にまで続く長い歴史があります。古色豊かで最近はパワースポットとしても話題の国宝仁科神明宮や盛蓮寺など、仁科氏ゆかりの寺社に加え、今でも集落ごとに守られている鎮守の森。確かに私も、兵事資料がこの地に残された背景には、そうした風土があるのではないかと思います。あらためて仁科の里の長い歴史を感じずにはいられません。

そして、この歴史資料を後世に残る文化遺産として、これからも大切かつ適切に保存し、調査、研究の貴重な資料として活用されるよう努めていきたいと思います。
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