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現在位置:HOMEからカンボジアからのお客様(平成21年4月)
更新日: 2009年4月7日

カンボジアからのお客様(平成21年4月)

 先日、東南アジア、アンコールワットの遺跡で有名なカンボジアからの行政視察団のご一行がお見えになりました。4月に入ったというのに到着時には突然の雪降りになり、さぞびっくりされたことと思います。
 ご一行の皆さんは、カンボジア政府の経済財政省や農林水産省、地方開発局など各省にまたがる視察団で、復興開発を急ぐお国ならではの取り組みだと感じました。カンボジアは、1991年のパリ和平協定によって平和が訪れるまで長い内戦状態にあり、93年の王制復活後も幾多の混乱がありましたが、現在新しい国づくりが進められています。

 市役所でのミーティングでは、私のご挨拶のあと地域づくりについて何人かの方からご質問を頂きました。市の取り組んでいる主要な政策は何か、また、国と地方の税の配分はどうなっているのか、市民の協働のまちづくりへの支援はどうか、また、農業振興への支援策は、など広範に亘り、何かを学び取り、国づくりに役立てようとする視察団の皆さんの責任感と、並々ならぬ意気込みを強く感じました。

 ちょうど3年前、私はプライベートでカンボジアを旅行しました。隣国タイのバンコクから乗った小型旅客機の窓から眺めるカンボジアの国土は、道路や農業用水路などの基盤整備もあまり進んでいるようには見えず、正直なところ国づくりはまさにこれからだという思いをいたしました。また、シェムリアップ空港に降りてからも、道路の工事が目に入りましたが、熱帯に属している土地柄です。日中は気温が高く、あまり仕事が進まないように見受けられました。観光のほうも、ガイドさんはお昼には上がってしまい、ホテルで午後3時ごろまで休むようになっていました。

 しかし、なんといってもアンコールワット、アンコールトムの巨大な石造遺跡は圧巻で、時間帯を変えて何回も見に行きました。急な石段をよじ登り、最上階にも立ちました。特に、夕陽を浴びて赤みを帯びたアンコールワットの遠望は忘れがたい風景です。周辺に点在する遺跡群も見事で、石造の遺跡がジャングルに飲み込まれ、巨木の根に取り込まれている姿は印象的でした。
 その思い出を視察団代表のモン・スィボンさんにお話しますと、「3年前は遺跡は修復中で、最近ようやく工事が終わったのでもう一度是非来てください。」と勧めていただきました。

 朝、早起きをして、ジャングルに上る朝陽をあびるアンコールワットの神々しい姿を拝みに行った時のことです。日本人の若い旅行者から、「タイゾーの亡くなった村がどこにあるか知りませんか?」と聞かれました。私は何のことかまったく分からず、ガイドさんに尋ねますと、「日本人の若いカメラマンが内戦の取材中に行方不明となり、その後ここから10Kmほどの村で亡くなったことが分った。」とのこと。旅行を終えて家に帰ってから調べてみますと、1973年、一ノ瀬泰造という当時26歳の戦場カメラマンが取材でアンコールワットに単独潜行したまま消息を断ち、その後ご両親により82年に死亡が確認されるという事件があったことを知りました。本人の日記や書簡、フィルムなどを集め、「地雷を踏んだらサヨウナラ」として出版され、更には映画にもなって、当時、大きな評判となったのでした。氏の若者らしい行動的で熱く自由な生き方が、若い人々の共感を得たのです。私もさっそく本屋さんで買い求め読んでみましたが、自由に青春を駆け抜けた「タイゾー」の生き方に、さわやかな感銘を受けたのを覚えています。

 日本の社会経済は今、混迷の真っ只中にあり、再生の道を模索中ですが、カンボジアもまた、日本とは異なる再生、発展の苦労を背負っています。しかし、視察団の皆さんとお話して感じたのは、カンボジアでは真っ白なカンバスに、これから自由に将来像を描ける分、夢が多いのではないかということでした。
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