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ホーム 幅具義先生、地方史研究ひとすじに(平成20年5月)

幅具義先生、地方史研究ひとすじに(平成20年5月)

 私の手元に一冊の厚い本があります。532ページもあるこの本は、「ひとすじの道」と題された幅具義先生の遺稿集です。幅先生は、主に大町、北安曇地方の小中学校で教鞭を執られるかたわら、地方史家として研究に情熱を注がれ、この地方の郷土史研究の第一人者でした。平成15年5月に多くの人々に惜しまれながら他界されました。ちょうど今日、7日はご命日に当たります。

 私がこの本を手にできたのは、先生が大町第二中学校にご在職の折、先生の教え子だった黒岩俊夫さんが、「大町に帰ってきたのだから、この本で大町の文化と歴史を勉強したらどうか。」と言って贈ってくれたのです。私は、もう45年ほども前になる自分の中学生の頃を思い出しました。幅先生は、当時二中で、私の1級上の学年を担任しておられましたが、実は一つ違いの私の兄も担任していただいていたこともあって、親しみを覚えていたのです。穏やかなお人柄の中に威厳というようなものを感じ、内心とても偉い先生なんだと思っておりました。ちょうどその頃、校長先生は平林武夫先生でしたが、幅先生は、教育者として高名だったこの名物校長先生と風貌がどこか似通っていたこともあり、いっそう印象深い思い出です。最近、先生の奥様から教えていただいたのですが、そもそも幅先生は、平林先生に出会い、地方史研究を勧められたことを契機に、この道に進まれたということです。ご縁というほかありません。

 さて、先生の遺稿集を読んでいて、初めて知った郷土の歴史も少なくありません。たとえば、大町地域の古称、仁科の里の「仁科」は、この地を平安時代から治めた仁科氏の発祥の地、現在の社地区の宮本付近が、赤土系の関東ローム(丹(に)=仁)に覆われた段丘(=科)の地という意味だそうです。「に」が、火山灰土の赤い色から来ていたこととは思いも及びませんで、私にとっては新発見でした。また、「科」は、科坂という言葉が示すように丘の意味であることは知っていましたが、宮本に起因していたとは。確かに、私の生家のある社地区松崎あたりから南部の宮本までは、農具川、高瀬川に面して段丘が続く地形です。

 また、先年合併なった八坂地区には、藤尾覚音寺があります。長い間、山深い里のひとびとの祈りによって守られてきたというこの寺の千手観音像の研究では、先生ご自身の健康をも省みず、観音像の詳細な調査をはじめ、像の修理に精魂を傾けられたそうです。また、寺の創建時期についても、地区内で発見された青銅製の「八稜鏡」と関連づけて考察されています。素人ながら私も、もともと仏像が好きで、この観音さまに関心を抱いていたものですから、繰り返しこの章を読ませていただきました。
 社地区は、仁科氏ゆかりの地だけに、国宝仁科神明宮や盛蓮寺を始め多くの旧跡があり、平安時代から鎌倉時代までの居館跡「館之内」や、生家のすぐ近くの「松崎古城」、「丑館(うしたて)」などについて、先生のご研究のおかげで、身近な郷土史を勉強させていただくことができました。

 つい先日、この大部のご本を読み終えたとき、私は改めて深い感銘を覚えました。先生が著された膨大な研究論文の数々に、昼夜を分かたぬ先生の熱心なご研究の日々を想い、また実証的な研究態度を最後まで貫かれた真摯な姿勢に心を動かされました。更には、先生の膨大な研究論文の中から時代や分野、地域に選考を重ね、精選された遺稿集をまとめられた刊行会の諸先生方のご尽力にも頭が下がります。

 そして、この巻末には、先生の奥様の手記「夫からのメッセージ」が収められています。そこには、奥様から見た歴史研究家としての幅先生が研究に取組まれた姿がそのまま綴られています。と同時に、文筆家でもいらっしゃる奥様の目から見た幅先生の、ご家庭での一面を余すところなく伝えてくれます。

 間もなく金婚式をお迎えになるはずであった50年近い家庭生活での、こんなエピソードがさりげなく語られています。ご夫妻でお茶を飲みながらのひと時のことです。古文書を読むのに夢中の幅先生に奥様が、「おとうさんがそうやって夢中になっている姿は、まるで幼稚園の子供たちが粘土遊びや砂場遊びに夢中になっているのとおんなじ。」と揶揄したそうです。すると、先生は、意外にも、「つまりはそんなもんだろうな。」と、率直に頷いたといいます。そして、「ただ欲を言えば、そうやって夢中になっていることが、少しは何かの役に立ってくれたら、最高なんだがな。」と。この言葉には、教育のかたわら郷土史の研究に没頭された先生の人生が凝縮されているように感じます。更に、「少しは何かの役に・・」は、地道な歴史研究の成果をどう今日に活かすか、あるいは歴史研究の持つ社会的な意義ということについて、歴史学の本質を突いているように思います。

 また、奥様が、「おたえさんとおさむさん」という題で良く似た夫婦になぞらえて書いた文で、ある地方紙に掲載された自伝的な短編、「夫婦相和し」は、絶品です。夫の長い単身赴任の留守に、家と農業を一人で守り続けてきた「おたえさん」が、ようやく定年で家に戻ってきた夫との暮らしをめぐって、期待はずれの現実に涙する姿に、思わず私の目も潤んできそうになりました。しかし、行間にご夫婦の情愛の深さ、細やかさが綴られ、奥様の心のうちの悲しみと喜び、そして二人で暮らす安堵感が目に浮かんできます。

 最近私にも思い当たることがありました。仕事の忙しさにかまけて、家のことはつい、家内に任せきりで、ろくに相談にも応じていなかったのです。返事さえも満足にしていたかどうか。つい先日は、連休で帰省した次女に、「何か、ふたりとも会話がぎすぎすしていて良くないよね。」と言われてしまいました。いま流行りの、お笑いのノリで家内にツッコミを入れたのが少々度が過ぎたのでしょうか、普段遠くに暮らす娘に、親の心配をさせるのはあべこべで、大いに反省したところです。
 幅先生ご夫妻のご家庭のように、学究的な雰囲気の中、「夫婦相和し」て、二人してお互いを高め合うような人生が送ることができたら本当に幸せだなと、世俗に紛れながらしみじみ思うのでした。

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