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「杓底の一残水」大町の水の話II

 大町の水の話題をもうひとつ。郊外にある大町ダム湖畔の高台の展望広場に、ひとつの石碑があります。この川の石であろうどっしりとした花崗岩の碑面にはこう書かれています

『杓底の一残水 流れを汲む千億人』

 以前、大町温泉郷のホテルで、市内ご在住の旅行作家、藤沢秀先生の講演会があり、先生は、ご講演の大町の観光資源のお話の中でこの碑のことに言及されたのでした。じつは、私はうかつにも、藤沢先生のお話を伺うまで、この碑があることさえも知らなかったのです。

 そして、このとき初めてこの碑に書かれた言葉について教えていただいたのです。この警句は、「半杓底の水の教え」とも言われ、曹洞宗の開祖道元禅師が、毎朝仏前に供える水を川で汲むに際し、子孫のためにと柄杓半分の水を川に返したという謂れによるもの。これには細部に異説もあるようですが。

 確かに、流れる水には持ち主はいません。水利権という利用権はあっても、川の水そのものに所有者はいないのです。しかし、水は、下流に住む幾万人、さらには後代にわたって幾億人もの人々が使うものです。「龍神湖」と名づけられた大町ダム湖畔の公園にこの碑が立っているのは、源流に住む私たちにとっても、また、この地を訪れてくれる人たちにとっても、水の大切さを考えるのに最適の場所と思うのです。

 ところで、講演会のあと数日して藤沢先生からお手紙をいただきました。講演会の際に、ご出席されていた市内のお医者さん、新津先生が、「あの碑は高橋恭男元市長によるものではないか」とのことなので本人に確かめてみてはどうか、とのこと。高橋は私の実の父でもあり、早速本人にたずねましたところ、「確かに当時建立した覚えはあるが、その碑文は私の手筆ではないと思う。その隣にある『大町ダム讃歌の碑』のほうは、当時の一志開平教育長の詞を書にしたのは私だが。」とのことでした。市役所の担当課でも古い資料を探して確認してもらったのですが、「杓底」の碑文の揮毫は誰なのか、とうとう判らないままでした。

 長野県は、北アルプスをはじめいくつもの山々に抱かれて、信濃川、姫川、天竜川、木曽川など、海に注ぐいくつもの大河の源流となっています。話は横道にそれますが、源流のことを言えば、関東平野を潤し、東京湾に注ぐ荒川の源流も長野県佐久市臼田町の馬坂地区、また、富士川の源流として釜無川は諏訪郡富士見町にあり、必ずしも県境イコール分水嶺とはなっていないことが分かります。

 信濃川〜千曲川〜犀川〜高瀬川と遡って、清らかな水のふる里、この大町に住む市民として、道元禅師が説いたように下流に住む人々のためにも、また、後世の人々のためにも、水の尊さを想い、水を大切にする気持を育んでいきたいと思います。

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庶務課秘書係 内線 507
E-mail: hisyo@city.omachi.nagano.jp

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