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ホーム 吉村午良元知事を偲んで(平成19年6月)

吉村午良元知事を偲んで(平成19年6月)

 吉村元知事さんが亡くなられ、6月13日にご葬儀がしめやかに執り行われました。私も式場に伺い、菊の花をささげ謹んでご冥福をお祈りいたしました。
 私自身、長いこと県職員としてご指導いただき、知事さんには大変にお世話になってきました。ご在任中はもちろんのこと、ご勇退後もお会いすることがあって、思い出がよみがえってまいります。

 私が県の財政課に最初に勤務したのは昭和58年でしたが、就任され3年目の吉村知事さんには、予算編成の知事査定でたびたび顔を合わせることになりました。予算担当になったばかりの年の春、衛生予算の担当となった私は、6月補正としては異例の8本もの要求を受け、新人として四苦八苦しながら何とか査定の準備を整えておりました。知事査定は、当時、知事公舎の応接室で行われていましたが、いよいよ自分の担当する査定の順番がやってきました。

 知事査定には、副知事、出納長、総務部長など、駆け出しの私にすれば雲の上の人々がお集まりです。査定の場では、知事は要求部の部長、課長の考えを聞く前に、財政サイドから査定案の考えを聞き取ります。病院の施設整備関係の補助金の補正が査定に上がり、今でも鮮明に覚えていますが、査定案について、いくつかのご質問をいただく中で、他の補助制度との関連を尋ねられました。担当としては想定内のご下問であり、下調べをしておいた資料によりご説明しようとしたのですが、いかんせん、資料をいっぱい抱えて持ち込んでいたものですから、とっさには出てきません。答えに窮してしまい、顔を上げますと、知事は私が新人であるのを見て、「ここで財政の担当が分からなければ誰も分からないんだよ。」と穏やかにおっしゃるではありませんか。血の気の引く思いでおりますと、課長補佐の西村直吉さんが、電話をして原課に確かめるよう助言してくれ、はっと我に返り、廊下に出て電話に走ったのでした。お亡くなりになった時の新聞報道には、「カミナリごろう」と呼ばれていたという記事もありましたが、怒るなどということはそうはなく、私は知事さんから叱られたことはこの時の外はありません。もっとも知事さんは、ご自分では叱ったというつもりは全くなかったとは思いますが。

 この時ほど、財政担当者の役割の重さと、信頼の厚いことを感じたことはありません。この以後、担当として知事査定に臨む日には、朝、東の空に向かい心を静め、気持を引き締めてから出勤したものでした。平常心を心がけるために、普段持ち歩いていた仕事の資料綴りの表紙裏には、「臆せず、気負わず、侮らず」と自分で書いたメモを貼っておりました。

 ある時は、議会に提出する議案の決裁をいただきに、またあるときは地方交付税の内定の報告にと、知事室に入ることもしばしばでした。そうした折に、決裁などの用件が済むと必ず、一言何かお声を掛けて下さいました。「君はゴルフはやるのかね?」と聞かれたときは、何と答えてよいのやら、とても「はい。」というほどの腕前ではなかったので、「はい、いえ、あの、少し・・。」最後はか細い声になってしまいました。また、その頃、私の父が公職についていたこともあって、「最近お会いしていないが、お父さんはお元気かね。」などと声を掛けてくださり、最初のうち緊張してお話をしておりました私も、回が重なるにつれ徐々に気持がほぐれ、「知事さんて、お顔が思ったよりでかいんだ。」などと不遜なことを心の中で思ったりしていました。

 また、こんなこともありました。ある部長さんが知事室に入り、何か相談をしたところ、指示をいただいたのですがよく聞き取れなくて、そのまま上の空で出てきてしまったというのです。そこで、財政に相談があり、担当係長の私がご指示の内容を確かめに行く羽目になったのですが、このようなお役目は、後にも先にもこれきりでした。確かに知事は、時々とても早口になることがあったのです。

 ご勇退されてからも何回かお会いいたしました。毎年夏に開かれますサイトウキネンフェスティバルは、吉村知事の時代に、並々ならぬ知事のご尽力により、確か奈良県との熾烈な競争に勝ち、新築なった松本文化会館での小沢征爾さんのタクトが実現したのです。その後、引退された翌年だったかと思いますが、ちょうど私はこのサイトウキネンを担当する生活文化課長を務めておりましたが、きっと小沢さんも吉村さんに会いたがっておられることと思い、何とかレセプションに前知事としてご出席願えないものかと調整に腐心しました。幸い、後任の知事がレセプションに欠席することとなって、このフェスティバルを主催する実行委員会とも相談して手はずを整え、長野市内のご自宅に伺い、ご案内を申し上げました。その折には、「みんなのご迷惑にならないかな」とのご心配を頂き、かえって恐縮したことを思い出します。

 大町市では、昭和61年5月に竣工した大町市文化会館の建設に当たって、広域圏ごとに整備する文化公園に対する県の助成の第1号として、事業費16億円のうち10億円もの大きな助成をいただきましたし、長野オリンピックの開催に合わせ、高瀬川右岸の堤防道路の整備に力を注がれたのも記憶に新しいところです。
 吉村元知事さんは、こうした文化振興の取り組みや、陸の孤島とも呼ばれ閉塞感のあった県下の、立ち遅れていた道路、新幹線などの交通網の整備に、文字通り「体当たり」でご尽力されました。今日の県土の姿があるのは吉村元知事さんのご功績といっても過言ではありません。

 どうぞ、ゆっくりお休みくださいますことを心からお祈りいたします。
 

6月21日 市長室にて

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庶務課秘書係 内線 507
E-mail: hisyo@city.omachi.nagano.jp

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